坂本龍馬

坂本龍馬の魅力と暗殺の謎!
人物像やエピソード、妻や子孫は?

坂本龍馬と言えば、歴史に名を残す偉人の中でも人気の人物です。亡くなってから150年近く経った今でも、小説・漫画・ドラマなどの主人公として描かれ、日本の歴史に名を刻んだ人物として語り継がれています。暗殺され、わずか33年の生涯を閉じるまでに、坂本龍馬は一体どのような人生を送ってきたのでしょうか? この記事では、日本の政治を変えた坂本龍馬のプロフィールや人物像・エピソードなどをまとめてご紹介したいと思います。

この記事を読むことで、坂本龍馬が具体的に何をしたのか? どのような人物だったのか? 知ることができるでしょう。

01. 坂本龍馬の人物像・プロフィール

坂本龍馬のプロフィールや人物像をご紹介します。一体どのような人物だったのでしょうか。

比較的裕福だった幼少時代

坂本龍馬は、土佐藩の武士階級「郷士」という身分の家に生まれました。郷士とは、武士の中で低い身分にあたる下士の上から2番目の階級で、普段「里」に住んでいて武士の仕事だけでは暮らしていけない貧乏武士のことを指します。しかし、坂本家の本家はもともと豪商でした。坂本家が郷士となったのは、当時身分の売買が認められており、お金によって郷士の身分を手に入れたためだと考えられています。そのため、坂本龍馬は、下士とはいえ比較的裕福に成長することができたのです。

5人兄姉の末っ子として成長

坂本龍馬は、5人兄姉の末っ子として生まれました。龍馬とほかの兄姉は、三女を除いて年齢差が10歳以上だったと言います。ちなみに、龍馬が生まれたとき長男の権平は21歳でした。

子供時代は落ちこぼれだった?

子供のころの龍馬は気が弱く小心で、11歳になるまでおねしょをしていたと言います。12歳になった龍馬は「楠山塾」に通い始めますが、「出来が悪く落ちこぼれだった」という理由から間もなく退塾。しかし、14歳のときに通い始めた剣術道場では、朝から晩まで熱心にけいこに励んだと言います。

坂本龍馬の人生に多大な影響を与えた存在とは?

坂本龍馬の人生・人格形成において多大な影響を与えたのは、龍馬の父・坂本八平の後妻である伊興の実家「川島家」であると考えられています。川島家の当主である伊三郎は、「ヨーロッパ通」とあだ名が付くほどの外国通。龍馬は伊三郎から話を聞くうちに、外国へのあこがれを強めたと言います。

龍馬暗殺の真相は?

新政府の体制作りに奔走し、激動の時代を駆け抜けた坂本龍馬ですが、慶応3年11月15日、京都近江屋の2階で刺客に襲撃されてしまいます。これにより、わずか33歳という短い生涯を終えました。殺害理由や誰が計画したものかについては諸説あり、本当のところは未だにはっきりとは分かっていません。有力な説は以下の2つです。

新選組が実行犯だという説

刀術でも一流の腕前を持っていた坂本龍馬。その龍馬が相手に傷を与えることなく致命傷を受けたということからも、暗殺した犯人はかなり刀術に長けた人物であったことが伺えます。当時、これほどの腕前を持っている人物は「斉藤一」ぐらいだろうと考えられており、新撰組が実行犯という説が広まりました。

京都見廻組が犯人であるという説

現在、最も有力なのが、「京都見廻組」犯人説です。1870年、箱館戦争で降伏した見廻組隊士、今井信郎は、新撰組隊士の取り調べに対して「坂本と中岡の暗殺に関与した」と自白します。このことから、実行犯は「京都見廻組」で間違いないだろうと考えられるようになりました。しかし、誰の命令を受けて暗殺に及んだのかは未だに謎のままです。

02. 年表で見る坂本龍馬

坂本龍馬の歴史を年表でまとめてみました。生誕から暗殺されるまでの生涯を見ていきましょう。

  • 1836年現在の高知県高知市で誕生。
  • 1846年楠山塾に通い始めるが、すぐに退塾。母・幸が死去。
  • 1848年日根野弁治の道場に入門し「小栗流和兵法」を学ぶ。
  • 1853年ペリー来航時の土佐藩臨時御用として品川沿岸警備佐久間象山の私塾に通う。
  • 1855年父・八平が死去。
  • 1856年再び土佐藩臨時御用として江戸へ行き、楠町千葉道場で学ぶ。
  • 1862年勝海舟を訪ね、弟子入りを志願。
  • 1864年勝海舟の使いとして西郷隆盛に会う。
  • 1866年薩長(さっちょう)同盟が成立。
  • 1867年暗殺される。

03. 主要なエピソード紹介

坂本龍馬にまつわる主要なエピソードをご紹介します。

倒幕のきっかけを作った

坂本龍馬は、簡単に言うと「江戸幕府を倒すきっかけを作った人」です。龍馬は、当時の国際情勢に向かうむためには、幕府を倒し天皇中心の政府を作ることが必要だと考えていました。そのため、幕府に対抗できる大きな力を持つ薩摩藩と長州藩の同盟を成功させたのです。しかし、薩摩藩と長州藩が「武力による幕府の打倒」を考えるようになると、国内での戦争に反対していた龍馬は、平和的な倒幕である「大政奉還」を土佐藩に提案します。この案が土佐藩から徳川慶喜に進言されると、慶喜はこれを受け入れ、形式上幕府が消滅することになりました。

常に先を見る姿勢

土佐藩士の間で長い刀を持つのが流行したとき、龍馬の友人は流行に合った長い刀を持っていました。しかし、そのとき龍馬は短い刀を持っており「短い刀の方が実践で使うには扱いやすい」と友人に言っていたのです。次に会ったとき、龍馬は「銃と刀では、刀は役に立たない」と言いました。そして、また再会したときには「世界のことを知る必要がある」と言い、現在の国際法である「万国公法」の本を読んでいたそうです。友人は、その展開の速さについていけなかったと言います。坂本龍馬が、今現在のことよりも、そのさらに先を見ていたことがよく分かるエピソードです。

地球半周を移動した!?

坂本龍馬は、勝海舟と出会ってから暗殺されるまでの約5年間に約2万キロを船で移動したというエピソードもあります。この距離は地球半周と同じ距離であることから、龍馬はあの時代に、地球の半周分を移動していたことになるのです。

04. 坂本龍馬の「妻」と「婚約者だった女性」

坂本龍馬には、結婚して妻となった女性と、婚約しながらも結婚できずに生涯を終えることになった女性がいます。その2人の女性についてまとめてみました。

龍馬の妻、おりょう

寺田屋事件の後に坂本龍馬と結婚したのが、幕末の医師、楢崎将作の長女「楢崎龍(ならさきりょう)」です。この女性は「おりょう」と呼ばれ、龍馬と新婚旅行にも出かけています。この旅行が日本ではじめての新婚旅行でした。龍馬は33歳という若さで暗殺されたため、おりょうと夫婦として過ごした時間は、わずか1年と10か月ほどしかなかったのです。

坂本龍馬が暗殺された後、おりょうは各地の知人を頼りに生活の場を転々と移していきます。旅館の仲居をして生活をしていたころには「つる」という変名を使っており、酔うと「自分は坂本龍馬の妻だった」と口癖のように言っていたのだそうです。

龍馬の婚約者、さな子

さな子は龍馬の婚約者でした。国が落ち着いたら結婚する約束をしていましたが、龍馬がその後に出会ったおりょうと結婚したため、さな子とは結婚に至っていません。

さな子は北辰(ほくしん)一刀流の開祖の弟・千葉定吉の次女として生まれました。剣術・長刀・馬術などに優れており、16歳のころには、龍馬と共に剣術修行に励んでいたと言います。

さな子は龍馬の死後も一生独身をつらぬき「千葉灸治(きゅうじ)院」を設立して生活していました。亡くなるまで、龍馬の家紋が入った片袖を形見として大事にしていたのだそうです。

05. 坂本龍馬の子孫は存在しない?

坂本龍馬と妻のおりょうとの間には子供がなく、直系の子孫は存在しません。しかし、家督は引き継がれています。

坂本家の家督を相続したのは?

父、八平が亡くなると、龍馬が生まれた土佐の郷士坂本家の家督は、龍馬の兄にあたる権平が相続しました。そのため、現在の坂本家当主は、権平の子孫にあたります。

坂本龍馬の家督は途絶えた?

では、坂本龍馬の家督はどうなっているのでしょうか? 前述したとおり龍馬とおりょうの間には子供がいません。そのため、家督は姉・千鶴の息子である高松太郎が相続しました。高松太郎は明治4年に「坂本直」と名前を改め、東京府典事や宮内省雑掌・舎人(とねり)などを歴任しましたが、キリスト教信者を理由に宮内省を免職になっています。

明治31年、病気によって直が亡くなると、直の次男「直衛」が坂本龍馬家3代目となりました。直衛には子供がおらず、4代目は直の甥にあたる直道が名称相続しています。4代目の直道には2人の子供がいましたが、その2人には子供がいなかったため、坂本龍馬家は5代目で途絶えてしまいました。

06. 坂本龍馬が残した名言・格言集

坂本龍馬は数々の名言や格言を残しています。代表的なものをいくつかご紹介しましょう。

  • 何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり。
  • 世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る。
  • 義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり。
  • われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫然としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。
  • 恥といふことを打ち捨てて 世のことは成るべし。
  • 時勢に応じて自分を変革しろ。
  • 日本を今一度 せんたくいたし申候。

坂本龍馬が後世に残した名言はほかにも数多くあり、動画やTwitterでも紹介されています。とても志が高く、理想に燃える人物であったことが分かる名言ばかりです。

07. 坂本龍馬にかんする書籍を紹介

坂本龍馬のことをもっと詳しく知りたいという人のために、関連書籍をいくつかご紹介します。

龍馬史
坂本龍馬を斬ったのは誰か?黒幕は誰なのか?歴史家である磯田道史が、幕末最大のミステリーに挑んだ1冊です。

龍馬の手紙
「幕末の異才」と呼ばれた坂本龍馬の「青春の軌跡」が鮮やかに浮かび上がる1冊。壮大な国家構想から姉や姪(めい)あての心暖まる私信までが紹介されています。

坂本龍馬を斬った男
坂本龍馬を襲撃した刺客の1人、幕臣「今井信郎」の数奇なる生涯がその孫である筆者によって描かれた本です。

まとめ

いかがでしたか? 江戸幕府を倒すきっかけを作った坂本龍馬。その名を知らない人はいないでしょう。龍馬がどのような人物だったのか? どのような生涯を送ったのかを知るために、ぜひこの記事を参考にしてみてください。その魅力に改めて気づく人も多いと思います。

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